大野真澄 連載

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第29回“お土産のコト”

2004.2

 2004年があけました。今年もよろしくお願い致します。

 ところで2003年を、ふり返ってみると去年は、いろんな地方へ行きました。北は北海道最北の地、猿払から南は奄美大島から沖縄・那覇まで、一年を通して北から南からまん中まで、活動を再開してからでは、一番多くの地を訪れてライブをすることが出来た一年でした。これもひとえに観に来てくれる皆さんのおかげであります。感謝!!感謝!! 

 ところで、地方に行って楽しみなのは、やはり仕事が終わってからの食事ということになります。しかし、北海道の猿払に行った時のホタテには参りました。ホタテの刺身、焼ホタテ、ホタテフライなどなど、とにかくホタテづくし。実は、このホタテが別に嫌いという程でもないですが、好んで食べる方ではないので、このホタテざんまいには閉口した。当地の人に「いつも、こんなにホタテを食べているんですか?」と聞いたら「何年も食べてないし、前に食べたのもいつだったか憶えていない」とのこと。もぉーっ!オイ!!オイ!!ですよ。「観光に来てるお客さんには、こんなに大量のホタテを食べる機会は無いと思うんで、ついつい『旨いですよ!!』って勧めると、皆 旨い!旨い! って言ってくれるからねぇ。マァ、そうかなぁ? などと思いつつも、旨いでしょう!!とか言っちゃうんだよね。」正直というか、何というかですが・・・。僕のように、そうそうホタテを食べたいと思ってない人間には困っちゃうんだよなぁー。

 そういえば、随分前に広島に行った時に「カキ船」というのに乗った時の「カキ」ざんまいにも同じようなことがあったなぁ。他に北海道ということで「カニ」もあったと思うけど、記憶に残らない程ホタテだらけでしたね。で、もって お土産にもらったのが、ホタテの乾燥した干物みたいなヤツ・・・。何ってたっけ? あれ?

 ところで北海道のお土産といえば「カニ」とか「鮭」とかもありますが、「ラーメン」ですかねぇ。僕がいつも買うのが六花亭のマルセイバターサンドと、ホリのとうきびチョコレート。キムチが好きなんですが、豆大福も好きなんです。で、地方に行くときによく言われるのが「何か、お土産買ってきて」って頼まれたりするんですが、この「何か」がクセモノなんですねぇ。どこの地方に行っても、あまりの種類の多さに、どれを選んで良いのか迷ってしまう訳です。思えば最近どこに行ってもあるのが地方名産?品の味がする「ポッキー」。名古屋は味噌味、大阪はたこ焼き、静岡はわさび味(これは長野だったかなぁ?)だったか、うなぎの蒲焼味だったか?とにかく何種類あるのか知りませんが、どこのも「デカイ!!」。面白いからこれにしよう!!とするんですが、そのデカさゆえに二の足を踏んでしまい、再びどれにしようかと思い悩んでしまう僕であります。しかし、ここでふと考えてみる。「まぁ、自分で食うもんでもないしなぁ。」などと考えると、気が楽になるもので(その逆で、よく選ばないと問題が起る事もあるが・・・)「そうかぁ、お土産ってのは結局そういう存在のものかも知れないなぁ」などと勝手に結論を付けてしまえば何を買っていっても、お土産はお土産に変りはない訳だしな、と納得したのでありました。

(以下次号)

2007-11-20 17:34:03投稿者 : 大野真澄
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第28回“「なんでだろう~」は「な~んでか」だったのコト”

2004.1

 気がついてみれば、この「○○なコト」も回を重ねて28回目。あっという間に2年以上の歳月が過ぎ去ってしまいました。そして2003年も終り、この回が掲載されると間もなく新しい年、2004年がやってきます。この連載にも以前書いたことがあると思うが、年をとると時間の過ぎるのがドンドン早く感じるようになると・・・。そして、同時に物事にも分からない事がドンドン増え続けている事にも気が付いた。

 先日2003年流行語大賞のひとつに「なんでだろう?」という言葉が選ばれたが、実はこの「なんでだろう?」という言葉が結論になるような漫談が、かなり前からあったのをご存知だろうか。「な~んでか?」の堺すすむさんである。

 本当のことを言うと、僕はこの「な~んでか?」をつい半年程前まで知らなかったのだ。知り合いの友人ということで堺さんを紹介されたのは2年程前であったが、その時、勿論堺さんの事は知っていたのだが・・・。物マネの持ちネタがメインの芸人さんだとばかり思っていた。確かその時に貰った名刺に「なんでかフラメンコ」と書いてあったのだが、それよりも、似顔絵が描かれていたんで、そちらに目が行ってしまって「似てますねぇ」などと会話しているうちに、酒席でもあったことから「なんでかフラメンコ」の疑問はついに聞かずじまいで、そのままになってしまった。その後3回程、一緒に飲んだり食事する機会があったのだが、「なんでかフラメンコ」って何っ?の謎をついぞ聞きそびれてしまった。

 そして今年の3月だか4月頃のある日曜の朝刊のラテ欄を見ていたら「笑点」のところに「堺すすむ」とあったんで、ここ何年も見ることのなかった、日曜夕方5時30分からの「笑点」にチャンネルを合わせた。小型のギターを抱えて登場した堺さんのネタが始まった。なーるほど「なんでかフラメンコ」ってのはこのことだったのか。もう半年以上も前のことなんでその時のネタは覚えていないのだが・・・。しかしこの落ちは、何かに似ているなぁー。あっそうかぁ。あのジャージのなんとかって二人組がやってる「アレ」と同じじゃないのか?だがしかし堺さんの「な~んでか」はもう何十年も前からのネタな訳だから、マネてるのはジャージの二人組(この時は“テツ・アンド・トモ”というグループ名は知らなかった)だ。こんな事ってアリ?許されちゃうのかねぇ? ひとつの楽曲の作詞でいったらまるっと盗作だし、“ひでぇーなぁー!!”などと思っていたのだが、しばらくして、その堺さんを紹介してくれた知人の娘さんの結婚式でご本人と会う機会があったんで、先日の「笑点」を見たことと、その「なんでだろう?」についてどう思っているのかを率直に聞いてみたら、意外な答えが返って来た。

 なんとテツ・アンド・トモの二人は「なんでだろう?」のネタをやる際に堺さんのところに出向いて来て、実はこういうネタをやりたいんで許可をしてくれませんかと挨拶にやって来たとのこと。本人達も最初から堺さんの持ちネタと同じであることはしっかり分かっていての「なんでだろう?」だったわけである。堺さんは快く承諾をしたとのこと。

 だがしかし、この「なんでだろう?」は何と2003年の流行語大賞のひとつに選ばれる程の大ヒットになってしまったのである。堺さんにしてみれば「な~んでか」がずっと以前からあったネタなのに、よりによって「なんでだろう?」が賞を取ってしまったなんて、まさに「な~んでか」ってとこだろうなぁ。

(以下次号)

2007-11-20 17:33:33投稿者 : 大野真澄
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第27回“1973年3月のコトを書いているうちにのコト(その9)”

2003.12

 ほんの軽い気持ちで入院中のことを書こうとしていたのに、とうとう9回目になってしまいました。では、前回からの続き…。

 しかして、とうに一週間は過ぎていた。曲が出来たといってアシスタントディレクターがカセットテープを持ってきた。4曲入っているという。僕はてっきりデモテープかと思い、はてさてどんな作品なんだろうかと思いカセットのPLAYボタンを押した。「あれッ!マークの声もトミーの声も入ってるじゃん、俺はこれにかぶせるの?」A.ディレクターは気まずそうに「いや、レコーディングは二人で済ませました。」とのこと。何だか病院の方と相談したが、レコーディングのスケジュールの都合と折り合いがつかなかっただの、理由にもならない言い訳をしてその日は帰っていった。

 で、翌日、「実は昨日持って来た4曲のうちでボーカルの気に入った曲は何かと思って・・・」僕もかなりガク然とした気持ちにはなっていたが、それでも、いつまでもグダグダ言っていても仕方ないと思い直して・・・。まず、一曲目の「君の誕生日」まずこれは無し!! 何故ならば、このムード歌謡風の展開とそれに何よりも間奏に「学生街の喫茶店」のメロが入っているコト。ハッキリ言って問題外!! こうゆうのは、ある程度時間が経ってから、ちょっとパロディーっぽく、使うのなら面白いが、次のシングルになんて恥ずかしくて赤面モノでしかないと思った。と、当時は思ったが、後に時を経るにしたがって、どういう訳かこの曲が好きになってしまう自分がいた。が、あの間奏部分を除いてである。

 二曲目の「散歩」。これに決定と僕は言った。「レット・イット・ビー」風な曲だけど、二人の声とキラキラして、ゆったりした街の風景が目に浮かぶ詞も良いし、楽曲のスケール感が僕の心をしっかりととらえた。これに決定!! ともう一度僕は言った。これA面。三曲目の「君の肖像」は、僕の耳を通り過ぎて行ってしまった。四曲目の「憶えているかい」これは良い!! マークとトミーの唄のコンビネーションも歌詞の内容も二人の声質にぴったり、しかもマークの間奏のガットギターは最高!! しかし全体的にちょっと地味だから、これはB面。

 しかし、トミーもマークも忙しいさ中でのレコーディングでもあったし、本人達の意志はどうなんだろうかと思いつつも、その場で、もっととんでもない話をディレクターはし始めた。この4曲を深夜のニッポン放送の亀渕昭信さん(現ニッポン放送社長)の番組で流して、聴取者のリクエストの多いもの2曲をシングルにするという企画が決定しているという。あ゛―っ何ということだ!! ウカウカ病院で寝ているうちに、何だかドンドン芸能界しているGAROになっちまってるぅーっ!! 何にィーッ!! リクエストでシングルを決めるぅーっ!! もう、信じられないよ!! 何やってんだ俺達のグループは!! 誰だぁーっ!! こんなことを決めている奴は!!

 2枚目のアルバムで味をしめ、なおかつヒット曲を生んで旨味を知った狂気の大人群団は知らないうちに益々パワーをたくわえて、僕らを思いのままにコントロールし始めた。それもこれも当時の僕達3人のコミュニケーションが不足しているのを読んでの、今がチャンスとばかりの総決起といった様相を呈していた。ハッキリ言ってやり放題。好き勝手ここに極まりきってなもんであります。誰がやっているか、やらせてるかは明々白々、あの大人達の高笑いが聞こえてくるようだ。しかし、彼らにしてみれば、思い通りには行くわ!! 曲は売れるわ!! で、笑いが止まらなかったことでしょうなっ!! 気持ち良かったでしょうなっ!!

 しかして、そんな彼らの悪事が長く続くはずがないのは、半年もしないうちに、見えてくるが、まぁ、それは改めてということで・・・。深夜放送ゆえに入院中の僕は生では聞くことは出来なかったが、次のシングルが決まったという。何とA面は「君の誕生日」。B面は「散歩」。よりによって「君の誕生日」がA面!! せめてA、B、面を替えて欲しいと要求したが、願いは叶わなかった。リクエストでも一番が「君の誕生日」だった訳だから、それまでの話という事だった。それにしても、信じられない、こんなコトがあっても良いものかってなことばかりが続いていた入院中の1ヶ月であった。そして、いつの間にか、煙草の銘柄がハイライトからセブンスターに代わっていた。

 そんなこんなんで激動の1973年3月のコトでした。

2007-11-20 17:33:00投稿者 : 大野真澄
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第26回“1973年3月のコトを書いているうちにのコト(その8)”

2003.11

 入院生活も2週間が過ぎて3月の中旬、この頃になると、お見舞いの人達もいろいろと来てくれるようになったが、それでもごく限られた人達だけだったので、僕にしてみれば非常に楽な気を遣わないで済む入院生活だった。マァ、十二指腸潰瘍は精神的な問題などが色々とからんでなる病ということで病院も関係者も、かなり気を遣っていてくれたのかも知れない。

 体が落ち着いてくると、日々が退屈の繰り返しになり始める。なにしろ本は読まない方が良いと言われていたし(元々あまり読む方ではないが)あとはTVとラジオしかないわけであります。ラジオをつければ、どこの局のベストテン番組でも「学生街…」は1位。TVをつけても1位。しかし、TVに映し出されるのは僕以外の二人が唄う「学生街…」。自分が唄って来た唄であるし、ラジオから流れてくるのも自分の声、何百回と繰り返し耳になじんできた楽曲だが、TVから聞こえて来るモノだけが“違う”。何か違和感を感じる。違う曲に聞こえてしまう。曲が世界観が全く異質なものに聞こえる。

 ずーっと考えていた。二人の唄う「学生街…」を全国の視聴者はどのような感覚で見ているのか?誰もがレコードを買っているわけではないし、それにTVを観ている大多数の人はラジオとか有線などから流れて来るものであれ、それ程聞いていたわけではないだろうから、TVの画面に映る2人が唄うモノをオリジナルの楽曲として見ているわけだ。過去に聴いたことのない人は当然、その曲に対しては初体験ということになる。何か違う。やっぱりこの唄は自分が唄うべき曲ではないのか。観る度にそう感じることが多くなった。しかし、彼ら二人にとっては、「本当は唄いたくないんだけどな!!」などと思っていたのかも知れないが…。そんななかでも精一杯唄ってくれていたんだと思う。それなのに僕の中の違和感は変わることがなかった。二人が超のつく程、忙しいさ中に、僕はベッドで横になりながら、勝手な思いに翻弄されていた。

 毎日、病院には山のようなファンレターとか激励の手紙が来ていた。ほとんどがそうであった。しかし、そんな中でもかなりの数の多分1割以上はあったと思うが、僕に対する非難とも思える内容のものが多数あった。最もひどいのはカミソリ入りの封書が2通あった。噂では聞いていたが自分が受けとることになろうとは夢にも思わなかった。受けとって初めて「あゝ、こうして封を開ける時に指をケガさせるのか!!」と妙な納得をしたのを覚えている。

 時を同じくして、次のシングルのレコーディングがあるので、その時は病院に許可をもらってレコーディングに参加して欲しいという話をマネージャーから聞かされた。当然、楽曲はどうなってんだろうか? と思ったが、もうすでに曲は決まっているという。しかも又々村井さんとすぎやまさんの曲で、詞は山上さんであるという。すぐに思ったのは、二人は納得してるんだろうか? ということだった。詳しくは話さなかったが、納得しているということらしかった。レコーディングはあと一週間くらい後になるという。以下次号へ。

   大野真澄ライブ&トーク開催決定!

テーマ「岡崎の味のコト」
日時:11月9日(日)PM6:30~
会場:洋風懐石料理「ROPPONGI」 中町6-1-7
会費:9000円 定員:60名
申込み:(株)六本木 0564-23-8969

※ 記載のライブ告知は2003年のもので、既に終了しています。

2007-11-20 17:32:22投稿者 : 大野真澄
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第25回“1973年3月のコトを書いているうちにのコト(その7)”

2003.10

 1973年2月26日、横須賀文化会館。

 GAROが単独でやるコンサートとしては、経験のない程大きな会場は、超満員の客で、ふくれ上がっていた。

 幕が開いた。凄い歓声である。しかし、ついこの間までバックを務めてくれていた、ベースの小原礼とドラムスの高橋ユキヒロの姿はそこには無かった。彼ら二人はサディスティック・ミカ・バンドのメンバーとして迎えられ、バッキング・ミュージシャンから新たなミュージシャンへの道へと歩き出していた。とはいうものの、今回のライブレコーディングには、ピアノに柳田ヒロ、ベースに後藤次利、ドラムスにチト河内、サポート・ギターとして矢島賢といった顔なじみのメンバーばかりだったので、これという不安は感じていなかった。しかし、リハーサルは2日前に、しかも、新潟でのライブから帰ってそのまま深夜、真夜中から朝方までの1回のみ。そんな状況の中でも初のライブレコーディングのコンサートの幕は開き、いつもとは全く異なったアレンジの「学生街の喫茶店」からスタートした。

 どうしたことだ!? いつものコンサートの時と全く同じだ。大丈夫だ!! さっきまで歩くのがやっと、と云える程辛かったのに、リハーサルの時より、さらに普段と変わりなく唄えているではないか!! なんということだろう、いつも通りだ。唄もM.C.も何もかもがいつも通りというより、それ以上にこなす事が出来た。さらにステージで、小走りさえもしたくらいだった。そして、あまりにも無事にステージを終えることが出来た。しかし、終演直後に僕は再び、超のつく重病人に逆もどりしていた。

 しかし、そんな状態の中でも翌日、当時はスターの登竜門と云われた人気のトーク番組、フジテレビの「スター千一夜」の収録が行われた。司会の関口宏さんは僕達3人に、こんな事を言っていた。「以前、“小さなスナック”という曲を唄ったグループがいたけど、何てグループだったっけなぁ…!? あの人達は“一発屋”だったよね。今はどうしているんだろう? 君達の曲も“スナック”と“喫茶店”の違いはあるけど、同じだったりしてね」と。まあ、シャレのつもりで言ったんだろうけど、これから頑張ろうって気持ちでいる僕達にとっては、あまり気持ちの良いコメントではなかった事を覚えている。収録後、いよいよ僕の体調は悪化の一途で、ついに、そのまま病院で診てもらおうということになり、僕の状態を診た医者は即、車椅子、精密検査。有無を言わせず、そのまま即入院という事になってしまった。

 そして、次回はついにこの「1973年3月のコトを書いているうちにのコト」の最終回の予定?であるが、気が向いたら又、続くかも知れない、といったあいまいな気持ちのまま、以下次号へ。

2007-11-20 17:31:48投稿者 : 大野真澄
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