大野真澄 連載

第35回“セツ・モード・セミナーのコト”

2004.8

 先日、6月も終わりのある日、文京区にある弥生美術館で開催されていた、我が師である故・長沢節先生の「長沢節・展」を見てきた。実は長沢先生は1999年に82才で不慮の事故のために、急逝されてしまったのだが、その直前に銀座で開かれた個展で、何年かぶりにお会いした時には、すごく元気で「近々、飯を食おう!!」なんて会話を交したのが最後になってしまった。

 長沢節という人物を知らない方も多いと思うので、簡単に師の説明をしておこう。独特のスタイル画で一世を風靡し、戦後の日本ファッション界に多大な影響を残したイラストレーターであり、水彩画家であり、エッセイストでもあり、そして美術学校セツ・モード・セミナーを主宰し、その校長でもあった。出身者には今や、日本を代表するファッション・デザイナー山本燿司や花井幸子など。イラストレーターではペーター佐藤、峰岸達、池田和弘、最近売れっ子の上田三根子など。その他では、料理研究家のケンタロウ、人形作家の四谷シモン。芸能界では樹木希林、桐島かれん、藤谷美樹、コーネリアスの小山田圭吾、木原光知子など。あとはクリエーター、プロデューサー、評論家、カメラマン、漫画家、モデル、エッセイスト、スタイリストなどなど、数えあげたらきりがない程多種多様の職業に就いている人達がこの学校から輩出されている。

 1968年の4月に僕はこの学校に入学したのだが、新宿区舟町の曙橋のほど近く、急な坂道の階段脇に今も、その学舎はある。この学校は午前、午後、夜間と1日が3部に分かれていて、それぞれが、好きな時間帯を選べるシステムになっていた。当初、僕は午前部を選んだのだが、後にアルバイトの都合で午後部に編入した。

 入学式の当日、余りに多い生徒の数に驚かされた。当時、この学校には試験がなく、申し込み順で定員になればそのまま〆切られてしまうというシステムで、各部とも70名程の生徒だったと思う。周囲の風景とは全くそぐわない洒落たパリ風の細長い建物はとてつもなく狭い階段で繋がれた各階の教室と中2階風のロビーがある6階建ての瀟洒なものであったが、入学式の当日は200名以上の人間が、その狭い校舎にひしめいていた。しかし、その数も3ヶ月もしないうちに、あっという間に半数以下になっていた。まあ、思えば、この学校のシステムというか方針が、別に積極的に何かを教えるというよりも長沢先生と一緒にクロッキーを描きデッサンをし水彩画を描きで、他の講師の人達も絵の技術とか美術史とかを教えてくれる訳ではなく、自分の経験とか人生論を喋るだけで、授業を受けているという雰囲気とは、ちと違うものであった。

 実は僕自身も1ヶ月くらいした頃に、果たしてここは学校なんだろうか? などと疑問を感じていたのも事実である。話は戻るが、そしてある程度の時間が過ぎると各人が描いた絵も溜まってくる訳で、それらの絵を各々が持ち寄って、長沢先生から批評を受けるというか批判を聞ける場が、もうけられるのであるが、その批評会の中で展開される独特の「長沢節ワールド」に魅了されてすっかり節先生の虜になってゆく訳ですが、そんなお洒落で素敵な長沢節の世界は次号で!! 

(以下次号)

2007-11-20 17:37:54投稿者 : 大野真澄
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